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2008年12月

RKBの番組を見てからお出でいただいた皆様

番組いかがでしたか。実はこの記事は昨日書いたものです。わたしは見ないまま書き込んでいます。

田主丸町緑の応援団とは

・沙漠植樹参加者の団体である。

・青少年に補助して派遣している。

・田主丸で植樹、山の手入れ、魚のすめる池作りなどをしている。

・そして沙漠植樹ツアーの主催団体である。

さてどのくらい紹介されたでしょうか。どんなことが皆様の記憶に残ったでしょうか。

2009年も8月に沙漠ツアーは実施します。興味をもたれた方は、今後もこのページにお出でください。

お正月休みで時間に少し余裕のある方は、旧HPの記事へお進みください。

今年の報告集などはウェブページにあります。

直接問い合わせたい方はこちらです。midorinoouendan@nifmail.jp

お年玉を出してやるかと決断された方は、「とびうめ信用組合 田主丸営業部 普通口座№2069798 緑の応援団 山下 清敏」というお賽銭箱へお願いします。

メールもあわせてお願いします。事務局が返信します。

皆様から寄せられらたご寄付は青少年派遣に充当します。

お年玉の金額ですか?個人賛同者の方には一口2,000円お願いしています。

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鳥取へ進路をとれ

欲しい。

その一言からすべては始まった。
遠山正瑛先生が田主丸に来られ講演をされた後、当時あった楽生窯を訪れたときのこと。なんと
ワガママなジイサマと率直に感じました。

その楽生窯の店先に展示してあった水車を見てしばし、欲しい、鳥取に送ってくれ。

1996年のことであります。

なぜかまだ団員でもなかったわたしのところに話が廻ってきました。
金もかけず何とかこの偉大なわがままを成就する方法はないか。
思案しました。

そして決めたのであります。
ま わたしは工務店でありますから仕事用の2トンダンプで運ぶか、と。

故林副団長・石橋事務局・わたしの3人で鳥取を目指したのであります。
ムチャクチャ楽しい道中でした。
まあ時効でしょうが、確か記憶によると昼飯のとき、レストランで林副団長が『3杯ね』と注文したのです。ダイジョッキです。

誰が運転したのでしょうか。
鳥取の怖ろしく飯がまずい国民宿舎に泊まりました。

翌日無事先生の自宅にお届けしたときの先生の破顔が忘れられません。
土産代わりに沙漠のハリネズミの剥製をいただきました。
田主丸総合支所にいまもあります。

そして林・石橋の両名から沙漠の天の川を見るだけでも価値があると再三再四告げられ、この道に入ってしまったのです。

ああ あれがなければ あれさえなければ なんて後悔は 二日酔いの朝ぐらいですかね。

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RKBの放映は明朝7時です

視聴お願いいたします。

2007年の沙漠緑化に同道されたときの映像が使われると思います。以下の写真の内黒い帽子の方がRKBの今林さんです。

写真はすべて2007年です。クリックして拡大してください。

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遠山正瑛先生のこと

遠山先生が田主丸で講演されたのは1991年だと思います。緑化産業の町田主丸にふさわしい地球環境への取り組みとして沙漠での植樹活動を提起されたのだと思います。

それがきっかけとなり当時の右田正雄町長の判断で田主丸とクブチ沙漠のかかわりが始まりました。

わたし 遠山先生の鳥取の自宅へ行きました。

田主丸からトラックに水車を積んで。はあ。まだ団員でもなかったですけどね。事務局金庫番の石橋、故林副団長と。

さて中国政府は遠山先生をどう評価していたのか。長文ですがお読みください。

砂漠緑化の研究家・遠山正瑛氏が逝去 享年97歳


  中国の砂漠緑化の研究に携わってきた日本の著名な農学専門家の遠山正0301p1220_2 瑛・鳥取大学名誉教授が2月27日、肺炎のため鳥取市内で亡くなった。享年97歳。3月1日の人民日報第5面に、故・遠山教授の生前の活動を紹介する文章が掲載された。主な内容は次の通り。

  遠山教授は1972年の退官後まもなく、中国の砂漠緑化の研究に取り組み始めた。その後、中国科学院(科学アカデミー)との協力プランを開始。帰国して日本沙漠緑化実践協会を設立し、中国へ砂漠開発協力チームを派遣した。1991年には、内蒙古自治区の恩格貝砂漠開発モデル地区に、指導責任者として招かれた。このとき遠山教授はすでに84歳という高齢だった。恩格貝では、日除けの帽子に作業服・長靴のいでたちで道具袋を背負う遠山教授の姿がよく見られた。毎年8~9カ月の滞在期間には、毎日10時間近くにも及ぶ作業を続けた。

  遠山教授は日本へ帰国するたびに、新聞や雑誌のインタビュー、テレビ出演、セミナー出席などに奔走し、砂漠の開発・整備事業のPR活動を行うほか、砂漠緑化のために精力的な募金活動を展開した。遠山教授の呼び掛けにより、10年間で335チーム・6600人余りが日本から恩格貝に赴き、中日友好のシンボルとなる樹木約300万株を植えた。

  砂漠緑化の地として恩格貝を選んだ理由について、遠山教授は「日中の人々の間には、長い友好関係がある」と何度も語っている。遠山教授はこれまで、奈良時代に日本へ渡航した中国の高僧・鑑真和上(688年生~763年没)により日中関係が親密さを増した歴史に触れたり、「第二次大戦後に中国の一般家庭で日本の残留孤児が育てられたことに恩返しをすべきだ」と話したりしていた。

  遠山教授の精神は人々に感動を与え、人々から尊敬を勝ち取った。遠山教授の貢献を称えるため、内蒙古自治区政府は「栄誉公民」の称号を授与した。国連も遠山教授に「人類に対する思いやり市民賞」を贈っている。江沢民前国家主席は、遠山教授と二度にわたり会見し、中国の砂漠緑化への貢献を高く評価した。恩格貝の砂漠開発規範区には、遠山教授の銅像が立てられている。台座には「遠山先生は砂漠化防止を世界和平に通じる道と考え、90歳の高齢でありながらたゆまず努力し、志を変えなかった。この精神は尊敬すべきであり、志は鑑(かがみ)とすべきであり、功績は称えるべきである」
江沢民国家主席(当時)とImage1_2

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時の移ろい 沙漠でのできごと

それぞれの写真は同じ場所を写したものです。

2001年と2008年です。2001年は当時の田主丸町役場が自治宝くじの配分金だったと思いますが、それを活用して田主丸中学校の校長先生や生徒を派遣しました。

今年は賛助金などで生徒を派遣しました。

森の看板の背景が一変していることに気づかれますよね。7年の歳月は、ポプラの木々が森へと成長する期間だったのです。Image0016_3

看板の脚の長さを比較してください。砂は押し寄せてはいますが、しっかり根を張ったポプラの木々が沙漠化を阻止しています。

2001年の写真のひとりの中学生が、いまわたしたちの最年少役員となりました。

ええーと 役員の高齢化を阻止してくれています。

いまひとたび自分が植樹した場所がどうなっているか確認するために沙漠へ、そう思いませんか。Epsn0034_3

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昔の名前で出ています

まだこのページは検索エンジンのクロールにあっていません。

けれど旧HPが、グーグルでもヤフーでも復活しました。例えばグーグルはココです。

とにかく昔の名前とはいえネット上の入り口に復帰できました。

実は、新春の候 わたしたちそれほどお知らせすることはないんですね。そこでこの団の歴史など書こうかと思っています。

今日は団員の方がお亡くなりになっていたことを知りました。ご遺族と少しばかり電話しました。ご冥福を遅まきながらお祈りします。

30年ぐらい前に分かれた先輩にネット上でご挨拶をしました。不思議な日です。

ひとり去られてひとりと会いました。

オフコース 『君住む街へ』

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なにやらあわただしく

RKBの放映は決定しているわけです。

7月30日 (火) 午前7時からです。ココです。

そこでアクセスが増加するだろうと期待しているし、みずぼらしいままではいけませんのでアレコレやっています。

旧HPも復活させました。コレなんですけど。福岡県に登録しているアドレスはこのページに変更してもらえないけれど、旧アドレスはグーグル検索で最初にヒットしますから。

ただし旧HPは写真を削除しました。記事のみです。

グーグルアースの恩格貝の位置情報のイメージをアップします。クリックして拡大してください。Onkakubai2_2

北京中心部と恩格貝の距離は直線で600Kmとグーグルアースは表示しました。東京→岡山とだいたいおんなしです。

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役員会の報告

・団長から一年間の活動総括が提起された。

 沙漠派遣事業は特に中学生6人を派遣し大いに成果があった。宿泊型総会も成功した。 今年度の参加者&中国総領事との交流会もおおむねよかった。西郷の魚のすめる川作りも順調である。役員一同のご協力に感謝する。

・満場一致 拍手で承認された

・事務局からの提案

 来年から団員向けだけではなく、一般に配布するニュースレターを発行することが承認された。懸案事項のNPO法人化は次期総会前に達成することが確認された。青少年派遣事業特別会計の運用案が提案され、次回役員会で文書確認することになった。

上記のことがらが慎重に検討され、全会一致で決定した。

ええっとですね、目の前にとかがあり、が料理されてならんでいるわけでして、スピーディな審議でありました。Image0010_4

新春のまちづくり団体の新年会にも参加する役員が発表されました。   

取り扱う金額もメンバー数もえらいな勢いで膨張しています。事務局が不慣れなため、本年は役員会の回数も例年に増して多く、また作業などもかなり無理をして取り組みました。

どんな組織もアラエッサッサの時期があるのでしょうが、緑の応援団はいまがそうなのかもしれません。

写真は10年以上経過したポプラの立派な森です。  

わたしたちもスクスク伸び始めた頃なのかな。

あんまり関係ないかもしれないけど、森にちなんで

ビートルズ『ノルウェイの森』です。

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本日は役員会です

今年の総括 来年の展望 大いに議論します。

団員の皆様への通信も数多く発行します。

で その後はです。

行ってきます。

クリスマスに役員会&忘年会  第一夫人や子どもたち ありがとうございます。

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がんばらなくっちゃ

ようやく体裁が整いつつあるこのブログであります。

沙漠の植樹説明の写真なども左上の「クリックしてね」のコンテンツにしています。

前のブログより容量が大きいし、ファイルも左の一番下「ようこそ」のウェブページにアップしています。

わたしのスキルではこれで十分HPとして活用できます。

西郷の魚のすめる池作り RKBから団長が取材されています。P1000753   

諸般の事情で引越ししましたが、そのせいで検索エンジンに引っかかりません。

辛抱辛抱。

今日のこの一曲は、村田先生ダイ。やぶれ長屋で今年も暮れた。

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クリスマスに この一曲

Images_3 宮崎団長が今年の報告集でこう記していました。

過去に参加された方は、自分の証を探す旅として位置付けるのも良いのではないでしょうか、と。

そうかもしれません。

沙漠にひっそりと生き抜くポプラの一本一本は、そのときのあなたが仲間と一緒に汗を流した確かな証でもあるからです。

戦争に費やされる莫大な金額がひとびとの未来のために、地球への慈しみに使われたら本当にすばらしいことなのに

Happy Christmas (War Is Over)

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緑の応援団通信 08.12

緑の応援団通信 08.12.23

団員の皆様 本年もご協力ご支援いただきましてありがとうございました。厚く御礼申し上げます。わたしたちの活動に関連してRKBテレビで急遽放映が決定しましたので、お知らせします。早朝の時間帯ですが番組の視聴お願いします。

12月30日(火) 午前7時スタート RKB毎日放送

「黒い樹氷~自然からの警告~」

来年は、特に中学生派遣事業につき、市役所関連の補助金が増額する模様です。わたしたちの責任もより大きくなります。   故遠山先生の言葉 「出来る所からする、やさしい所から始め、困難な場所は後回しにする!」 やさしい所なんてないのですが、継続が一番大切と考えます。サカナのすむ川作りも続けます。来年もご一緒しましょう。よいお年をお迎えください。       宮崎 吉裕

事務局です。本年は中学生6人派遣に90万円打ち込みました。

会費・青少年派遣事業の賛助金もよろしくおねがいします。

とびうめ信用組合 田主丸営業部 普通口座№2069798 「緑の応援団 山下清敏」 

連絡は midorinoouendan@nifmail.jp または

事務局長 中野悦章  まで。通信には番号あります。

この通信は、これまで団員登録をされた方すべてに発送しています。Epsn0085_2

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ご心配かけました。RKBのことやら。

12月30日 午前7時 ハエー わたしたちの沙漠植樹の模様などが挿入されたドキュメントがRKBテレビで放映されます。

中身がよくわからないのです。

昨年わたしたちと同道された今林さんからとりあえずの連絡を受けました。

団員各位には通信が届きます。

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