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もうひとつの砂漠化

わたしの親父は40代ぐらいから、急速に頭部の砂漠化が進行していきました。頭頂部の森が失われ、林となり、最後にがんばっていた木々も立ち枯れ、不毛の地となりました。

20代のわたしは、ふうむ、あれが25年後のわたしが直面する砂漠化なのかと、人生の不条理によよと泣き崩れてしまったのであります。そのころ、現在のわたししか知らない人々はにわかに信じがたいでありましょうが、床屋のオヤジさんに、あんたの髪はジャメになるぐらいあるの、と高く評価されていたのです。ううっ。

死んだ善蔵じいさまは、しっかり森林状態であの世に旅立ちましたが、わたしの親父は、どういうわけかそのあこがれのDNAを受け継がなかったのです。なるほど、その前の佐吉ひいじいさまは砂漠化しており、親父は隔世遺伝である、ならば隔世遺伝がわたしの身に起こるならば、わたしは緑化されていたはずであったが。

時は流れ、わたしの頭部の砂漠化は、本人の切ない頭部環境への慈しみなど関係なく進行していきました。無念であるのは、弟二人はあいかわらず、ジャメになるぐらい勢いある森林を維持しているのであります。

12年前(38歳)にはじめてクブチ沙漠の植樹に参加しました。そのころは、普通一般に言われるところの、あああの人ハゲだなあ、ではあっても、長めの髪でそうやすやすと地肌をさらさない程度に髪はあったのです。

そのとき沙漠に強い風が吹き荒れました。わたしの頭部のやせた細々とした枝たちはグジャグジャになりました。そして決心したのです。自らの砂漠化は止めようもない、いっそ短く刈り込んでしまおう、そのかわりこの大地の沙漠化は渾身の力を込めて阻止するぞ。

学生のころは、肩に髪が届いていました。ひげも生やしていました。ポール・マッカートニー見たいな感じです。社会人になっても長めの髪でした。当時の写真を娘が見ていました。おとうちゃん、これ 誰ねえ。

ああ子どもたちには、わたしが森林というよりも熱帯雨林状態だったころの姿を見せることができなかった。息子の髪の癖が、わたしの子どものころに実によく似ています。こいつも砂漠化するのだろうか。うーむ。複雑な気持ちであります。

シャンプーは微量。ヘアードライヤーは15秒。どうです。地球環境に優しいわたしの砂漠化した頭部であります。

第一夫人には、俺ってさ ハゲジャン どこに行ってもゼンゼン もてんわい。などと申し上げていますが、第一夫人がこのブログを絶対にのぞかないことを前提に敢えて言上しますれば、ま そこそこ ムニャムニャ なのであります。世の中には膨大な数の女性が存在し、おもしろおかしく話すハゲにご興味をお持ちになる極少数の大変な美人も存在する、ええっとですね、この定理は身をもって証明できます。

さて、髪は帰ってこなくともいいけれど、緑の大地は取り戻しましょう。

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