事務局2の遊びやせん

動き始めました

わたしもえー団長らしいことをせねばならぬと、取り組み始めました。

中野事務局長と酒飲みながら打ち合わせをしました。当面の作業課題が9ぐらいありまして。

・代表交代の案内 文面を事務局長に起こしてもらい修正の上決定→近々送付

・団の通信 やはり中野→刈茅→中野 すぐ送付予定

・中学校への生徒派遣依頼 済

・ゴム印製作 発注済

・賛助金ご依頼 中野事務局長とうきは市・田主丸町かなり回りました。

・理事会召集 今週末に開催します。

・法務局とNPOセンターの役員変更届は来週いたします。

田主丸中央商店街の夜市に緑の応援団は「こども居酒屋」を出店いたします。7月9・16・23日の土曜日午後7時から営業です。お出でくださいませ。

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よよと泣き崩れ

団員の皆様からのはがきが帰ってまいりました。
総会参加さびしゅうございますね。

日程が悪いのか、現理事会が悪いのか、開催する前からソーカツの日々であります。

ま 総会終了後の酒飲みであれやこれや議論しようと思います。

ほんでこんなしんどい状況を引き継ぐオメデタイ人物、とほほほ。

一期2年間しかやりませんが、革命的ボーケン闘争を展開するのだ。

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事務局2の事務局2な日々

みなさんGWはどう過ごされたでしょうか。
わたしは、4日にセントレジャー城島高原へ行ってきました。朝8時から開園していまして9時過ぎには着きました。
多かったですね。こんな時間からきてるなあ、という感じ。
ジュピターは30分待ちでしたが、ポセイドンは1時間。ゴーカートも1時間。ええっとですね、わたしが順番待ちの列に並び、カミサンと豚児たちは順番が来るまでほかで遊ぶ。
ご同輩の父親たちも疲れていました。

昨夕はクタクタになって自宅へ帰りましたら、誰もいません。
わたしのお弁当箱と水筒を洗っていたとき、突然ひらめくことがありました。
タンブラーをピカピカに洗い上げて、たっぷり氷を入れました。
そこにウィスキーを八分目、水を少々入れて玄関先のポーチに腰を下ろしました。

何にも考えずチビチビやりながらハイライトをすいました。

ああ わたしが本当に若かったころ、日本のお父さんは猛烈に働きハイライトを「今日も元気だ。タバコがうまい」だったのです。
大震災の影響でショートホープが市場から消え、ハイライトは代替品であります。
しかし、ああとても感じになりました。家先の道を通り過ぎる車や散歩する人たちを見やりながら、角とハイライトの絶妙なるコンビネーション。

こりゃ 癖になる。

宮崎団長がいっておりますが、大震災であっても大震災であるからわれわれは日常であり続けるのだ、そうかけがえのないわたしやあなたの人生のひとときは、とてもとても大切である、などと怪しい脈絡のない考えはウィスキーの影響でありますが、自らをちょっとばかり解放してやることも日常の一部であります。

カミサンや子どもたちがいない瞬間、みなさんもポーチで一杯やってみませんか。

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最高の季節

この時期になりますと毎年同じようなことを書き込んでいます。
恐縮であります。

しかし本当にそうなのですから、今回もまた書き込みます。田主丸は植木苗木果樹の町です。特にブドウや柿のシーズンは、その果実を求めてたくさんの方々がご来町されます。
しかし、散策されるならばやはりこの季節ですね。

田んぼにはレンゲをはじめ、さまざまな草花が一面風にそよいでいます。
植木も果樹も青葉若葉のときで、みずみずしいありとあらゆる緑色が楽しめます。

ああ 田主丸に生まれて(住んで)よかったワイ!

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耳納連山れんげ米というブランドがあります。
れんげの種をまき、ご覧のようにれんげの花が咲き誇った後、田んぼにすきこんでいきます。減農薬減化学肥料のための緑肥です。
風が弱い日にはミツバチがたくさん飛んできます。

わたしが子どものころは春先は普通に田んぼはれんげ畑でしたが、化学肥料の使用によりいつのころからか雑草畑になりました。
それが今復活しています。
弟たちと相撲をとったり野球の真似事をしたりして、緑色のしみを服につけては母親から大目玉を食らったことを懐かしく思い出します。

田主丸は最高のシーズンです。なんにもありませんが、葉っぱと田んぼをながめにおいでくださいませ。

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冬になると緑の応援団は・・・・・・

動きが鈍くなる、ように見えるかもしれません。

まあ、事務局は本年の活動の総括的なことをしているわけです。
来年の活動方針や中長期的なことを一応考えています。

反省することは多いんです。
ここのところ皆さんにえらくガンバッテもらってますから。

どういう団体として今後活動していくのかアレコレ考えています。

団長も「そろそろ楽になりたい」そんなことも考えているようです。
そうなれば人事のこともいろいろ考えなくてはいけないのです。

わたし個人はもう一期(2年間)団長に続投していただきたいなあと思っています。
そうして、運営体制を確立させて新しき理事会に引き継いでもらいたいと思います。

理事メンバーも若干固定化してきましたので、入れ替えがあるかもしれません。
わたしも事務局としては多少くたびれました。

12月18日に理事・監事懇談会を開催しますが、総括的文書中長期的計画文書を提出してざっくばらんに検討する予定です。

来週は中断していました環境学習の書き込みをすることにします。

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中国とのおつきあい

尖閣諸島で中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突した事件、2か月以上経過しました。

われわれは市民としての国際交流と位置づけてこれまで内モンゴルの沙漠で植樹してきました。
地球環境への取り組みでもありますし、青少年の国際派遣事業でもあります。
そして植木苗木の町から、ストップ黄砂でもあります。

政府と政府との関係や経済交流とは違った意味で、普通の市民がそれほどの無理をせずにできること、それが沙漠への植樹でした。

頭イタイですね。

NPO法人田主丸町緑の応援団は政治活動はいたしませんが、気分が重いですね。

しばらく前の政権のときも日中関係が緊張した時期がありました。
両国の過去の歴史を振り返れば、お互いにその微妙を最大限尊重しながら交流していくしかありません。

政治体制が違い経済システムが違い、時に緊張してもいつまでもいつまでも日中両国は隣人であります。
この現在の「緊張」がゆるやかに溶けて成熟した関係に落ちつくことを心から願っています。

酒の席で、団じゃない人からの揶揄、まあいろいろ言われましてそのつど弁明調で話すとですね、酒がまずい。

ソフトランディングを祈念いたします。

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明治 大正 昭和 平成

眠るように逝きました。

その日の朝、肩とあごを使って呼吸していました。息づかいが少しずつ弱くなり、その間もだんだんあき始めました。
10秒おきの呼吸が二回。そのまま呼吸停止となり、頚動脈でも脈を感じられなくなりました。

親族としては体をゆすり、大きな声で呼びかけるべきかもしれませんが、十分人様より生きてきましたので、楽になることを見守りました。

なにしろ明治41年です。1908年です。世紀を超えました。素晴らしい。
日露戦争が終結して3年。清の最後の皇帝が即位し、アメリカのゼネラルモータースが創業した年です。

生前本人が仏壇に入って拝んでもらうより、生きているうちに可愛がってもらったほうがいいと述べていましたので、そうしてきたつもりです。

満102歳。大大往生。病で苦しむでもなく、「もうよか」という感じで逝きました。
実は人の命が消え逝くことを初めてながめました。準備はできていましたのでそれほど悲しくもなく、みんなで明るく送り出した気分です。

6月から一月半、団の運営にもいろいろご不便をおかけしました。
また、理事各位におかれましては、ご丁寧にも通夜の席にお出でいただきまことにありがとうございました。
心から感謝申し上げます。祖母の儀ですから、本来はご口上だけでもありがたいのに過分のお心遣い重ね重ね喪主に代わり御礼申し上げます。

というわけで、皆様にご迷惑かけた分この夏働きますのでよろしくお願いいたします。

事務局2 刈茅貴俊

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その時 ボクは 37歳だった

日曜日の午後と憲法記念日だけ休みました。わたしの仕事ではお正月とお盆だけが楽しみなのです。

日曜日の午前中は、田んぼの苗床の作業をしました。娘と息子も手伝いというか応援団で来ていました。何の役にも立ちませんが、農業に触れさせるために仕込み中です。息子は「お手伝いしたからお米ができたらいっぱい食べられる」といっていました。

その夕方、自宅の方でバーベキューをしました。家族でするのは初めてです。水澄ましの会のキャンプなどでは、わたしは一切炊事関係には手をだしません。しかし、ああホスト役でありますので最初から最後(焼きそば)まで焼き続けました。特に記すほどでもない普通に日常的なことです。

日本中でどこの地域でも、家族がにぎやかに一緒に食事をする、当たり前の出来事です。憲法とか政治とかそういうレベルではなく、わたしやあなたの生活であり暮らしであります。

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14年前はじめて沖縄に行きました。田主丸の子どもたちと平和学習を兼ねながら、その研修の事務局をやったわけです。以後3回沖縄に行きたいから行きました。

嘉手納空港の巨大さにはいつも圧倒されます。普天間飛行場はその隣接する嘉数高台公園から眺望しました。頻繁な航空機の出入りと轟音に驚きます。
その横に下に沖縄の人々の生活・暮らしがあります。

海へ近づけば、紫外線に弱いわたしの眼では、その強烈な色彩と光の反射を見つめ続けることはむずかしくなります。

子どもたちと笑いながら肉を焼き野菜を焼くたいしたことない普通の一日をわたしは享受していますが、そのことがどこかのだれかの大変な負担の上にあるものであるならば、その方々の希望を十分に受け止めなければと思います。

沙漠で植樹することは一人ひとりが自由に解釈してよいことと考えます。
環境の問題としてとらえるもよし。
日中市民の友好的交流もよし。

いつもいつもかしこまっているわけではありませんし、できるわけでもありませんがこの国の歴史を振り返ってしばし考慮すれば、祈りにも似た気持ちを沖縄の人々に馳せることは、それもわたしたちの生活のささやかな一部にしてもよろしいのではないでしょうか。

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ヤッタゼ!5連勝 

ああ気分も明るい。ツエー。

わが福岡ホークスは9連戦中ですが、ここまで5勝無敗。ようやく今年初めて首位に立ちそうです。

川崎が特にすごい。イチローにぐっと近づく年になりそうです。首位打者を取りますよ。賭けてもいい。そうじゃなかったら坊主になります。
ま 切る髪があまりないけれど。

新緑の美しさに、娘や息子とサイクリングしながら「田主丸に生まれておまえたちはシアワセじゃ」と愛郷の心を発揮しています。

わたしはGWあまり休めませんが、とりあえず明日は耳納のお山の萌えー緑をながめながら、バーベキューです。

行楽地もよろしいでしょうが田主丸の緑を愛でてやってください。

観光協会でマップなどどうぞ。

今日の分です。

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田主丸の春

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いや、わたしの事務所のすぐ近くの風景です。

幸いなことに田主丸の柿は遅い霜の影響もなく、順調に若葉が育ちつつあります。
田んぼは中山間部では、レンゲ米ということでレンゲの花が風にそよいでいます。
それからつつじが真っ盛りです。みとれてしまいます。

そしていつものごとく ああ田主丸に生まれてよかったワイ!であります。
基本的に商品作物でありますが、それがそのまま風景をよきものにすることになっています。

耳納(みのう)のお山もですね、わたしが子どものころとはだいぶ景色が変わってきました。
戦前大量に植栽された杉やヒノキが伐採可能なところは切られましたし、それから手を入れられなかった山林は、植生の交代が起きました。

今ながめますとずいぶんと雑木系やら黄緑の葉が多くなりました。色がいろいろあって山の感じがよくなりました。

これから5月までは新緑の時期、田主丸最高のシーズンであります。車窓からながめられるだけでもよし。おいでくださいませ。

久留米運送社長の二又大榮様が過日ご逝去されました。財団法人二又教育文化振興奨学会を通して緑の応援団は多大のご支援を受けてきました。これまでのご好意に感謝申し上げるとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。 

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