ちょうど2年前、尖閣諸島付近で操業中の中国漁船が、日本の海上保安庁の巡視船に衝突をくりかえす事件が起きました。
以後、東シナ海は平和の海ではなく、波高しの海となり今日にいたっています。
領土問題には、石油やガス田などの資源問題がからまって両国のミゾがなかなか埋まりません。
一方、日中両国の貿易総額は28兆円もあり、お互いに大切なパートナー同士になっています。
本来ならば、これまでの40年のおつきあいを振り返り、未来志向でこれからどう交流していくか、検討しあう節目の年となるはずでした。
1978年日中平和友好条約の批准書交換のため来日した鄧小平副首相(事実上当時の最高実力者)は、次のように記者会見で述べました。
「国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」
それ以来の24年間、両国の経済交流は飛躍的に発展しました。先送りではあるのですが、この抑制の効いた発言で、お互い安心して友好も経済もよき関係を進められたと思います。
ただし、この24年間、日中双方、もっと知恵が出たのか、よりよい解決の糸口を見つけられたかといえば、それはあまり進みませんでした。
沙漠植樹の旅では、北京と恩格貝を体験します。そしてその格差・へだたりをわたしたちは実感します。
ニュースの映像などで、中国の切り取られた一部を見ることができますが、実際に見る聞くことでわたしたちは中国の現状に触れることができます。
日本は、北海道・東京・沖縄、もちろん所得の差や生活水準の違いなどありますが、それでもある程度の幅に収まっているといえるでしょう。
中国はGDP世界第2位になりましたが、ひとつの国として機能するにはまだまだ時間が必要だろうな、と皆さん感じませんでしたか。
日本と中国はこれからも隣人です。どちらかが引っ越すことはありえません。いがみあうより仲良くすることを誰だって願うでしょう。
沙漠に植樹に行く活動は、小さな小さな友好の積み重ねですが、お隣さんを訪ね合う行為は、理解につながると思います。
いろいろご批判があると思いますが、わたし、わたしの次の世代の方々、わたしの子どもたちの世代、皆「次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう」と考えながら交流すれば、日中両国の友好は続くと思います。
いまもなお続く、中国の中央政府や地方政府の故遠山先生への敬意を思うとき、そしてその先生の意志へ寄り添うわたしたち、少なくとも沙漠地帯では日本人への感情がやわらかくなったのではないでしょうか。
わたしは沙漠植樹は、鄧小平さん言うところのもっと知恵があるだろうのひとつと思っています。
大連から福岡へ帰る途中、機内のわたしの隣の席には福岡大学に留学中の方がいました。
1時間以上しゃべったと思います。三国志の話題。お互いに魏の基礎を造った曹操が好きで盛り上がりました。
この方と再び会うことはないかもしれませんが、われわれはそのとき隣人として語り合い、日中友好にひとかけらぐらい加えることができたと思います。
かつて銃を持った日本人がいて、いまはスコップで穴掘りをする日本人がいて。
最後までお読みいただいた方 ありがとうございます。わたしの個人的考えです 念のため。
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